三鷹の「SCOOL」(三鷹市下連雀3)で2月3日・4日、吉田アミさん(吉は土に口)と大谷能生さんによるライブ「どちらがさきに口火をきったのか、もうわからない。vol.6」が行われた。
アフタートークに登壇した詩人の吉増剛造さん(撮影=Hideto Maezawa)
2017年から略称「口火」と題し、毎回さまざまなゲストと共に実験的に試みてきた同ライブは、テキストを用いた朗読や即興演奏などを交えたパフォーマンス。今回は、ゲストに詩人の吉増剛造さんを迎え「1年間続けてきたライブの総決算」と、会場には過去に同シリーズを見たことがある人や、吉増さんの詩をきっかけに初めて足を運ぶ人など、幅広い年代の人が2日間で約100人詰め掛けた。
3人は、映像作家のrokapenisさん、ucnvさんが手掛ける映像が映し出された白い壁に囲まれた、客席との距離も近い舞台スペースに登場。吉田さん、大谷さんがテキストを声に出して読む傍ら、吉増さんは時折、ペンで文字を書きながら同時にそのライブ映像を壁に映し出したり、インクを床に垂らしたりするなどのパフォーマンスを見せた。同舞台の撮影を手掛ける写真家の前澤秀登さんは「これまで多くの前衛的なパフォーマンスに関わってきたが、今作は極めて複雑な構造を持った作品だと感じた」と話す。
約1時間のライブ終了後、3日は批評家で同スペースを運営する佐々木敦さん、4日は編集者の郡淳一郎さんを交えてアフタートークが行われた。郡さんはトークの始めに「モダニズムは死んでいない。かつて1970(昭和45)年の新宿にあった『前衛』が、今日この三鷹にあった。モダニズムの文学運動としてのライブを見た」と話した。
トークでは「エクリチュール(=書くこと)は本来、道具で引っかいて痕跡を残すということ」という点に触れ、吉田さんは「文字を書く機会が減った今、パソコンやスマートフォンで文字を打つのではなく、あえて手を動かして書くことや声に出して言葉を読むことの重要性」を話し、大谷さんも「言葉は揮発性があるが、書いたものや録音したものはその素材の中に過去の時間が入っている。それを後で引き出したり使ったりできる」と話した。
吉増さんは「『見せ物』としてライブをすることで途方もないものが自分の中から出てきた。世界に有限があるとしたら、そこに触れたような気がする」と舞台での喜びを話した。