吉祥寺・大正通り沿いの「mono gallery」(武蔵野市吉祥寺本町2、TEL 0422-22-8812)で9月1日より、「吉祥寺にジャズをありがとう 野口伊織と吉祥寺展」が開催される。
野口伊織は1942(昭和17)年、東京生まれ。1959(昭和34)年に銀座から吉祥寺に移り住み、翌年、両親が経営する喫茶店の地下に、当時高校生の伊織が提案しジャズ喫茶「ファンキー」が誕生する。慶応義塾大学を卒業後、1966(昭和41)年に同店を地上2階・地下1階に改装、本格的に店舗プロデュースを開始する。同店が吉祥寺のジャズ喫茶ブームの火付け役となり、その後、「西洋乞食」「サムタイム」「レモンドロップ」「OLD CROW」「蔵」「金の猿」などの飲食店を次々と開業。レストラン、バー、和食、居酒屋、喫茶店、ケーキ店など幅広いジャンルの店を、吉祥寺を中心に30軒以上開いた。2001年、脳腫瘍で死去。享年58歳。ジャズをはじめ、多くの趣味を持ち社交的だった野口の早すぎる死は、多くの友人、関係者から惜しまれた。
没後10年に開催される同展では、愛用していたサクソホンやカメラ、酒などの遺品を展示。自身が撮影した「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」の写真をスライド上映し、会場には好きだったジャズナンバーを流す。併せて、野口と同時代を歩んできた吉祥寺の変化の様子も年代別に紹介。「通りが舗装されたり建物が建ったりと吉祥寺が大きな街になっていく姿を、野口さんが関わってきた仕事と重ね合わせ、写真やいろいろな人の証言で見てもらう」と同ギャラリーオーナーの藤川さん。「野口さんは喫茶店文化でもトップの人。『汚い店のほうが良いんだ』などと言う人もいるが、一流のデザイナーを使って設計した店は、空間の演出や音に関してとてもセンスがよく最高のものを使っていた」と話す。
「野口さんは私と同世代で、生前は親しくしていただいた。私も生まれ育った吉祥寺は、今でこそ『住みたい街ナンバーワン』と言われているが、こうした人たちの地道な努力があったからこそ。街が大きくなって忘れ去られないようにしないといけない」とも。
開場時間は13時~20時。9月5日まで。